江の島の変遷~いくつかのターニングポイント②~

江の島の変遷~いくつかのターニングポイント②~

こんにちは!
片瀬西浜「江の島海水浴場協同組合」Web担当、タッキーです!

以前の投稿で江の島ですが、近代の「ターニングポイント」をご紹介しました!

1949年 橋がコンクリート製に!

明治時代に開通した弁天橋でしたが、丸太を組んでつなぎ合わせ、上部に板を引いただけの簡素な造りでした。また橋からの転落事故もよくあったということです。
通行に支障が大きく出ているということで、コンクリート製の強固な橋を建設することになりました。
およそ6ヶ月の日数と延2万5000人の労働力、478万円の費用を掛けた大変大がかりな工事であったとのことです。


※写真は架橋工事中の江の島弁天橋です。

これまで単に桟橋、江の島桟橋と呼ばれて来た橋は初めて江の島弁天橋と呼ばれるようになりました。
江の島弁天橋の橋名は一般公募で決まったものです。


※こちらの写真は、橋が架かる前の1890年代の江の島(当時は江ノ島)です。

1951年 灯台ができた!

江の島のシンボルとして親しまれているシーキャンドル(灯台)は2代目にあたります。
初代は1951年に完成し、2002年まで地域住民や観光客に親しまれておりました。


※2003年に出来た現在稼働中の灯台との2ショット。右側が1951年から2002年まで稼働していた灯台です。現在は解体されています。

実はこの初代灯台、元々は戦争中にパラシュートの降下訓練に使用されていたものを流用しています。
二子玉川あった訓練塔の主部材のみを移築したとのことで、戦争のイメージ払拭と平和を祈念し、移築後の名称は「平和塔」と呼ばれました。
戦争の遺産を平和利用したのですね。当時の時代背景がよくわかります。

普段、目に写るものも、先代、先々代と歴史を刻んでいるのですね。
特に、灯台の代替わりは私もリアルタイムで見ていますので、感慨深いものがあります。

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